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「決戦U」です。知らなくても全く無問題。

荀郁(文若)165cm 決戦仕様=女 勝気・神経質・ヒステリックらしい ソソ様ラブ

郭嘉(奉孝)170cm プライド高くて偉そうだとテンプレ通りなので、受らしさをプラス 美青年らしいw

曹操(孟徳)180cm 誰も信じられない非情なマザコン(笑)の筈なのに、お茶目さんに…

張遼(文遠)185cm 相変わらず奴の性格づけはいい加減 イイ人になってしまった

振り返る

司空府に植えられた時期が来れば美しく馨る桃の木も、今では寒そうに枯れた枝を曝け出し、北風を受けて弱々しくしなっている。いつも重く圧し掛かる甲冑が余計に重く感じる、暗い灰色の空の下。荀郁は、司空府の自室へと足早に向かっていた。右手の冊書を握り締め、何かから耐えるように小さな唇を引き結んでいる。

「文若」

曹操軍の筆頭軍師の一人であり、仮にも尚書令である自分を字で呼ぶ人物は、かなり限られる。声のする方角へ振り返った。決して声が大きいわけではないのによく通る、落ち着いた声。

「奉孝」

一番会いたくなかった者の字を、呼んだ。

奉孝と呼ばれた男は、ふらりと荀郁に近づいた。好物である酒を飲んだのか頬を僅かに染めている以外は、普段の冷徹な彼と何ら変わりない。執務中に酒とは何事かと叱ろうとして、やめた。今そのような元気は、荀郁に残されていない。

「殿から却下されたのか」

郭嘉が、かたく握り締めている冊書をちらりと見やる。何からの帰路なのかも冊書の中身も、郭嘉が暗に示す通りだった。

「……私の策では、甘すぎると」

「尤もだ」

かっと頭に血がのぼる。瞬時にさらりと言い放つ、荀郁より少し背のある色素の薄い男を思いきり睨みつけた。

「何も知らぬくせに!」

唇を戦慄(わなな)かせ小さな拳を震わせる旧友を、郭嘉は顔色ひとつ変える事なく無感動に眺めた。類稀なる才は認めよう。だが、曹孟徳が絡むと途端にその才は精彩を欠く。つまらぬ女だ。

「将や兵を駒とも思えん者に、殿が好む献策ができる筈なかろう」

「人は駒などではない!」

潔癖すぎるのだ。女特有の情と生来の潔癖は、曹孟徳と並ぶにはあまりに滑稽だ。文若は、戦には不似合いすぎる。その才は内政にこそ生かすべきではないのか。曹操が戦場で荀郁を侍らせる理由が、その頭脳を以ってしても郭嘉には未だ理解できなかった。

「殿の覇業が前では、全て駒だろう」

大きな目を見開き、下唇を噛む。核心を突かれて何も答えられない時の、荀郁の癖だ。呼び止めるべきではなかったかと、低い空に視線を投げた。雲の動きが早い、このまま一雨来るかもしれないな。郭嘉は零れる溜息を殺そうともせず、何も言えないでいる荀郁を見下ろした。

「私が憎いか」

俯き加減の小さな頭が勢いよくあがる。しかしその大きな瞳は、否定を表してはいない。馬鹿正直な奴だと笑おうとしたが、その口角が上がる事はなかった。

「あ、なたは……私の、友だろう」

俗世との交わりを絶ち、名を隠したまま英傑と手を結ぶ事で裏社会の人脈を築いていた郭嘉と出会ったのは、何年も前の事だ。郭嘉は、荀郁の才を女だからと否定しなかった初めての人間だった。曹操に仕官しようと行動できたのも、あの時に郭嘉が自分を認めてくれたからだ。人一倍矜持が高く他人を顧みない、鮮やかな才に彩られたこの男が。

だから、曹操から人材を推挙せよとの命があった時、真っ先に郭嘉が浮かんだのだ。曹孟徳の思想を理解し共鳴し、大業を成すに必要な才を持つ者。案の定、謁見したその日に二人は意気投合し、郭嘉はすぐに仕官する事となった。曹操の期待に応え郭嘉への恩を返し、荀郁も胸を撫で下ろしたのだが。

「私はそう思っている。だが、お前はそうか?文若」

いつからか、殿は郭嘉を室に呼ぶ事が多くなった。君主と臣が仲睦まじい事は結構だが、余りに贔屓が過ぎると他の者から僻まれるとも限らない。郭嘉がそのような事を気にする性質だとは思わないが、折角築き上げられようとしている曹軍に、このような事で亀裂を生みたくはない。そんな思いで、それとなく郭嘉に尋ねた事がある。

「殿とは随分と仲が良いようだが」郭嘉は低く笑い、不審顔の荀郁を見る事なく酒を呷った。「殿は、寂しいお方なのだ」

では既に、あの頃から二人は始まっていたのだろう。荀郁が二人の関係に気付くのは、もう少し後になってからの事だ。

「殿を好いておる事ぐらい、見れば解る。気取られぬとでも思ったか?この私に」

足元を掬われるような感覚に、ぐらり視界が歪む。

「好いて、おるなどと…!」

そのような、邪で俗めいたものでは決してない。私は女である事を捨てたのだ。殿の為に、殿の覇業の礎として生きる為に。殿の腕に抱かれるだけの後宮の女達などとは、違う。

――――では、この男は?

「……貴方はどうなのだ、奉孝」

何の感情も感じさせない鋭利な眦(まなじり)に、何かの色が混じる。しかしその正体が荀郁には分からなかった。

「貴方こそ、殿の……寵愛を、一身に受けて、」

「情を交わしておると?」

「――――っ!」

顔を真っ赤にし二の句を忘れてしまった鎧の塊を見て、未だ文若は男の味を知らぬのだろうか等と、どうでも良い事を考えてしまい内心舌打ちした。例え女を捨てていても、男にはなれないのだ。自分が決して女になれないように。

「なんだ、お前も殿に抱かれたいのか?なら簡単だ。その暑苦しい鎧を脱ぎ捨てればいい。お前なら重用されるだろうよ、後宮でな」

ぱしん、と乾いた音が鉛色の空に吸い込まれた。人を喰ったような嘲笑を消し、先程より些か赤らんだ自分の左頬に触れる。じん、と痺れるような鈍い痛み。二人の間を、突き刺すように冷たい風が吹きぬけた。

「……女の分際で、いい度胸だな。お前が尚書令でなければ、即斬り捨てるところだ」

溢れる殺気を隠そうとすらしない、切れ長のそれが氷のごとき冷たさで荀郁を一瞥した。知らずぶるりと震える身体を叱咤し、両の足を踏みしめようとした。

「殿は、私の才とこの身体を愛しておられる。だが私は男。女のように縋りつく事も、覇業を邪魔立てする事もない。それが私を選ぶ理由であろう。

……お前は、殿の“女”になった後も、今までのように居られるか?」

「当たり前だ」そう思った。そう言おうとした。しかし、舌が縺れて思うように動かない。

当たり前だ、私はそんなに脆くない。私は女だが、男に守られるだけの無知な女とは違う。

違うのだ、私は。殿の重荷や足枷になどなる筈もない。当たり前だ。私は、違う。

「だから殿は、お前を選ばない」

吐き捨てるように呟いて、荀郁から背を向け郭嘉はその場を去った。それに荀郁が気付いたのは、一刻の後であった。郭嘉の言葉が、脳髄をぐるぐると回って止まらない。

崩れ落ちそうになる身体を、随分と長いこと両の腕で抱き締めていた。

生まれつき他者より弱い身体を持つ郭嘉にとって、この寒空は苦痛以外の何物でもない。置いてきてしまった荀郁は、風邪などひかぬだろうか。無意識に踵を返そうとした自分を、喉奥で嘲笑う。我ながら滑稽だ。自邸などより余程過ごす時間が長い司空府内の自室へと足を早めると、室の前で張遼が座りこんでいた。

「荀令君の前だと、何故あんなに意地が悪いのだ」

挨拶も拱手もなく、開口一番がこれだ。官位では自分の方が上だが敬語も敬称も不要だと、そう言い出したのは確かに郭嘉であるが、ここまでくると小言の一つも言いたくもなる。また供もなく一人でほっつき歩いてきたらしい。従者を連れないのは、独りを好む郭嘉とて同じなのだが、自身の事はしっかり棚にあげて溜息をついた。

どうやら、先程のやり取りをこの大柄の男はずっと見ていたようだ。悪趣味極まりない筈だが、張遼だとそのような印象を受けないのは、北の大地の素朴な血に拠るものだろうか。

「司空府まで私を追ってきたのか?御辺も随分と暇なのだな、文遠」

呆れるように肩を竦めてみせた郭嘉の瞳には、先程までの冷たさなど微塵もない。扉向かいの欄干(らんかん)に背と腕を預け、張遼に笑みを投げながら向き合う。張遼は片眉をひょいと上げ、不服そうに唇を尖らせた。

「荀令君に言伝があったのだが、お前と取り込み中だったのだ」

「私の次は文若か。御辺もまた物好きな男よな」

「茶化すな。俺は最初からお前だけだ」

唐突な言葉に目をしばたたかせ張遼の顔を見ると、思いのほか真剣な眼差しとぶつかった。

戦以外ではいつも詰まらなさそうにしている線の細い男が、くくと小さく笑う。笑う郭嘉と言えば、嘲笑しか思い浮かばれないような男だが、本当はよく笑いよく泣く者だと、自分以外は誰が知っていよう。……殿は、存じておられるのだろうか。

「何を考えている?」

星のない日の暗闇のような限りなく純粋な黒の瞳は、まるで何もかも見透かしているように瞬く。気高く美しい、自分とはまた別の生き物のような気さえするこの男を手折る事が許されているのは、天に選ばれた殿だけだ。解りきっている筈の事実に、時折どうしようもなく息が詰まるような苦しさを覚えるのは、何故だろう。

「言えば幻滅する」

「御辺の悋気(りんき)はいつもの事だ」

まったくだ。つい言葉に詰まると、今度は声を上げて笑い出した。まるで童子のようだ。ふと、郭嘉は随分と暗くなった鉛の空を見やった。途端に口から笑みが消え、瞳に影が差す。

「ああ、そろそろ行かなければ」

「何処へ?」

張遼は刹那、郭嘉が迷うように目を伏せたのを見逃す事ができなかった。だから、何処へ何をしに行くのか理解してしまった。それは郭嘉にも伝わったようで、失敗したと言わんばかりに少しだけ顔を顰めた。

「私の性技は、鄒氏の次に悦いらしいぞ」

悪童のように悪戯っぽく口角をあげてみせて、華奢な指を欄干からするりと離す。その細腕を、張遼は掴まずにはいられなかった。

「奉孝」

「文遠、私は」

そのような顔をさせる為に、俺は今ここに居るのではない筈なのに。

「私の心がどこへあるか、解っておるだろう」

ああ、解っている。最初からずっと。

張遼自身驚くほどの抵抗力を制して引き剥がした指は、行き場を失くして所在無げに宙を彷徨った。

「文遠、」

「そのような顔をされたら、俺はどうすればいい」

「……すまない」

そのような殊勝な言葉、荀攸あたりが聞けば間違いなく卒倒するだろうが、残念な事に自信家の郭嘉しか知らぬ面々は此処におらず、離された武骨な手と己の腕を頼りなく行き来する目をじっと見つめるのは、張遼だけであった。

「失礼いたします」

扉を音もなく閉ざし拱手する。扉を開けてからの一連の所作に、曹操は満足げに微笑んだ。曹操は品格ある者を好む。郭嘉のそれは、曹操を十分に満足させるものであった。

君主の為に誂えたものとは思えない質素な室はしかし、華美を嫌い実用性を追求する曹操には似合いだ。文官の部屋よりも多いであろう冊書が、部屋中の棚でひしめき合っている。また、数が増えたのではなかろうか。

郭嘉が曹操の室に上がる時、従者はいつも不在だ。郭嘉はいつも「私では殿をお守りできませぬ」と訴えているのだが、曹操は全く意に介さず「儂がお前を守るから問題なかろう」などと言い出す始末である。従者を傍に置く事により、この蜜月を知れて困るのは郭嘉であるが、曹操の身の前にすればどうでもよい事である。間者が暗殺しに来でもすればどうするつもりなのだ、この君主は。

「お前の声を聞くのは、儂だけでよいからな」

随分と先回りした言葉に、思わず頬を染めて俯いた。冷静沈着で矜持の塊のような郭嘉も、曹操を前にすると形無しである。

「先日、お招きされたばかりですが」

曹操の気まぐれは今に始まった事ではないが、曹操が郭嘉を呼ぶのはそう頻繁ではない。そもそも、妻も妾も多い男である。わざわざ郭嘉を選ぶ理由などない筈なのだが。

「儂では嫌か」

「そのような事は」

やわらかくも優しくもない男の身体に触れる曹操が解らない。それでも好色な男だから、好奇心や趣向替えといった理由で、気まぐれに一番年若い自分を選んだのだと郭嘉は思っている。だから、数日前に抱かれたばかりにもかかわらず、またこうして呼ばれているのが不思議でならなかった。

「飲むか」

にっと特徴的な笑みを浮かべながら、曹操が酒瓶を取り出した。難しい顔をしていた郭嘉は、途端に目を輝かせて頷いた。郭嘉は無類の酒好きである。曹操は郭嘉以上に酒の好みを心得ているようで、曹操の用意する酒はいつも郭嘉をたちまち虜にしてしまう。今宵の酒瓶は鮮やかな青色で、長江の畔で拵えられたものらしい。南方の豊かな香と芳醇な味わいに、郭嘉はあっという間に出来上がってしまった。元々、酒はそれほど強くない。

「先程まで、誰と居た?」

高価な酒を水のように飲み干しながら、顔を火照らせ瞳を潤ませている寵臣を見遣った。

「文若と、次に文遠と居りましたが」

「人気者だな」

「ご冗談を」

曹操は笑いながら、朱の差した女のごとき肌理(きめ)細やかな頬に親指を滑らせた。冷たい指が心地良く、郭嘉は目を閉じた。

「何をしておったのだ?」

「何も。ただの世間話です」

「本当に?」

薄い桃色の唇を己のそれで塞ぎ啄む。そのまま流れるように、従順に受け入れる郭嘉を牀台へと横たえた。

「妬いておられるのですか?」

「他に何がある」

君主らしからぬ事をきっぱりと言い放つものだから、つい笑みが零れる。曹操のある種のこういった素直さが、郭嘉は好きだった。

「文遠に?文若に?…………私に?」

悪戯っぽく笑い、いつものように曹操の首筋に口吻けた。曹操が誰を見ているかなど、知っている。当然だ。己は曹孟徳に会ったその日から、ずっとこの男の傍らに居たのだから。

「荀郁は、お前のようにはせんよ」

「愛してしまうからですか?」

「儂はお前を愛しておるが?」

不服そうに顔をしかめる曹操に、くすくすと心底愉しげに笑う。

ですが殿、私と殿では何故このように歪(いびつ)なのでしょう。私が男だからでしょうか。それとも、これはまことの情ではないのでしょうか。

「女として見てしまわれる事が恐ろしいのですか?」

「そうかもしれぬ。しかし郭嘉」

郭嘉の単衫(ひとえ)を脱がす手を止め、支配者のそれではない双眸がじっと郭嘉を見つめた。

「お前を呼んだのは、儂が張遼に妬いておるからだ」

きょとんと呆けた顔を返してから、ややあって解けるようにやわらかく微笑んだ。

「私が誰のものであるのかなど、殿が一番よくご存知でしょうに」

衣服を整え、深い眠りについている君主の室を後にした。

凍てつくような寒さの中、叩きつけるような豪雨が回廊を行く郭嘉にも届く勢いで降りしきっている。恐らく、朝になっても止む事はないだろう。本日予定している賊の討伐は一時中止か。

ふと、張遼の顔を思い出す。戦が好きな男だ、いたく残念がるだろう。いや、戦にしか存在価値を見出せないのか。あの男と自分は本質が同じなのだ。だからきっと、惹かれ合う。取りとめのない事を考えていると、吐いた白い息の先に人影を見留めた。

「文遠?」

夕刻に郭嘉の室の前にいた時と寸分違わぬ姿で、張遼が愛槍を右手にじっと座りこんでいた。行軍中の如き浅き眠りだったのだろう、激しい雨音にかき消されそうな郭嘉の声に、すいと瞼を持ち上げた。

「遅かったな」

「何をしているのだ、風邪をひくぞ」

慌てて張遼を室内に入れ燈篭を灯す。殆んど着る事のない裘(キュウ)を引っ張り出し、身を固くしている長身の男にばさりと被せた。足りぬだろうが、無いよりは余程ましだろう。

「すまん」

「せめて中で待っておれば良いものを」

御辺一人の身体ではないのだぞ、将軍。襦裙(じゅくん)を羽織ながらそう続け、ふわふわとした狼の毛皮が妙に似合っている張遼へ、呆れ顔で振り返った。

「お前が驚く」

「それは、そうだろうが」

今でも十分に驚いているのだが。何故、夜通しで私の室の見張りのような真似をしていたのか。しかし、聞く気にはなれなかった。

「この雨では、今日の討伐は中止だろう」

「いつ戦が始まるか分からぬのが、乱世というものだ」

「違いない」

軽く苦笑し、張遼は閉ざしたばかりの扉を開けた。

「すまん、着物は暫し借りる」

「帰るのか」

「目的は達成した」

私の顔を一目見る為だけに、雨の中何時(なんどき)も待っていたというのか。

控えめに開けた扉から、氷の如き冷たい風と細かな雨が侵入してくる。張遼はまたこの冷たい所に戻り、寒い室へと帰るのか。郭嘉は取手を持つ張遼の手を払い、扉を閉めた。

「奉孝?」

「開けるな、寒い」

「……奉孝」

帰るなと、白い横顔がそう告げている。だが張遼は、郭嘉の細い指に己の武骨な手を重ねた。

「それは拷問だ」

では、今黙って御辺を帰す事は、私にとって拷問ではないのか。黒曜石の双眸が挑むように、鳶色の瞳を見据えた。

「それ以上は、俺が勘違いしてしまう」

「構わぬ」

らしくなく戸惑っている張遼に、郭嘉はふ、と見た事もないような妖艶な笑みを浮かべた。君主にはいつもこんな顔を見せていたのかと思うと、爪先までかっと熱く滾る。その勢いで口吻けた唇は、掻き抱いた躰は、驚く程つめたかった。

「……文遠?」

唇を離し、抱き締めたまま何もしない張遼の顔を、郭嘉は訝しげに覗きこんだ。

「俺の躰は、あたたかいか」

「……ああ」

「なら、俺で暖を取って寝ろ」

「何故?」

思いがけない言葉に瞠目し、郭嘉は憧れてやまない歴戦を勝ち抜いた右腕を掴んだ。張遼の着物越しに伝わるその手はやはり、氷のごとき冷たさを孕んでいた。

「お前の心(シン)がこちらに来るまで、俺は待つ」

「文遠……」

およそ人のものとは思えない温度の掌を、張遼は壊れ物を扱うようにそっと握った。張遼の皮の下を巡る血の熱さが郭嘉に分け与えられ、二人の境目が失われてゆく。

「あたたかいな」

ぽつり呟くと、己が武を極める事にしか興味のない筈の男の顔がゆるりと綻んだ。

「それは良かった」

(いら)えは、再度触れた唇に吸い込まれ消えた。

ああ、そうだな。私と御辺は同じだから、目合(まぐわ)わずとも理解し合えるかもしれぬ。

お前は最高の駒で、最高の情人だよ、文遠。

性急すぎる曹操の覇に対する天の怒りではないかと民草に恐れられた豪雨も止み、久方振りの陽が司空府を照らしている。凍えるような寒さも幾分か緩和され、寝起きの悪い郭嘉にしては珍しく、定刻通りに朝議へと向かった。

「奉孝」

相変わらずの仰々しい鎧に包まれた荀郁が、ぼんやりと回廊を歩く郭嘉を呼び止めた。

「今日は遅刻ではないのだな。今後もこの調子でな」

荀郁が少し嬉しそうに笑う。郭嘉の才は誰もが認める素晴らしいものなのに、持ち前の不品行と横柄な態度のせいで評価が落とされているのを、荀郁はいつも残念に思っていたのだ。

「可愛いな」

「何がだ?」

唐突な郭嘉の呟きに、荀郁は眉を寄せてその端整な顔を見上げた。いつも氷の刃のようだと思っていた瞳が今、優しげに自分を見つめている。荀郁は思わず息を呑んだ。

「お前は、笑うと可愛いよ」

久しく見る事のなかった微笑みさえ湛えながら、聞かされた事のない台詞を吐かれた。躰中の体温が頭に上りきったのではないか。ものすごく顔が熱い。真っ白になった思考をどうにかしようと頭を勢いよく振れば、郭嘉はおかしくてたまらないと言わんばかりに笑いを堪えている。

「……奉孝!口説くなら他を当たれ!」

「口説いているのではない、本心からの言葉だ」

けろりと言い放つ痩身の色男に、未だ赤みのひかない顔を伏せて、なるべく不服に見えるよう思いきり睨みつけた。しかし、このような他愛ない会話をしたのは随分と久しいのではないか。軽口を叩く郭嘉など、暫く見ていない。はっと顔を上げると、やはり郭嘉は微笑っていた。

「お前の想い人は、お前が考えているよりずっと、お前の事を愛しておられるよ」

「え?」

――――殿が?私を?

郭嘉は背を向け、朝議のある会堂へ向かおうとしている。奉孝、と思いの外切迫してしまった声で呼ぶと、肩越しに振り返った。なぜ涙がないのか不思議な程に、その顔は切なげで酷く儚かった。

「今まで、すまなかったな」

冬の突き刺す風に攫われそうなか細い音を唇に乗せると、郭嘉はまた歩き出した。荀郁は小さくなってゆく旧友をぼんやりと見つめながら、先程の言葉の意味を優秀なはずの頭で考え始めた。

朝議には間に合わないかもしれぬ。しかしもう、良い。奉孝はいつも遅刻ばかりしていたのだ。私だってたまに品行方正の冠を脱ぎ捨てたとて、誰も構うまい。そうだ。このような顔をしたまま、殿に会えよう筈がなかろう。心の臓は今までにない勢いで早鐘を打ち続け、遂には座り込んでしまった。

歩く速度が速くなってゆくのを感じながら、足を止める事は出来そうにない。振り返るな。

朝議の後、機会があれば殿に申し上げるのだ、もうあのような戯れはやめましょうと。殿はきっと悲しげな顔をして拒否されるだろう。しかし、それだけだ。

殿にとって私はそれだけの存在なのだ。知っていた。知っていて、解らぬ振りをしていた。

もう、この貧相な躰を抱き締めるのはあの男だけでなければならない。

殿も、ご自身の魂が求むる者に気付かなければならない。振り返るな。

振り返るな。


作成日: 2007/11/15

はい、曹郭で遼郭で郭郁で曹郁なカオスSS(にしては長い)でした。実はこれが、生まれて初めて書いた3人称小説…。正直ラストを書き直したいけど、これ以外浮かばない貧困な発想。最初は普通に曹郭オチになる予定でした。鬼神様の呪い…?!

郭郁のフォローをさせてもらうと、荀郁から羨望と嫉妬と憎悪のような目で見られているのを郭嘉は知っているので、郁の事が好きなものの、どう接していいのか解んないみたいな。で、冷たく接して距離を置いている方が、お互い一番楽で傷つかないだろうという考え。当然、ソソ様を愛しているのでそういう複雑な気持ちも含んでます。愛してるんだけど、ソソ様に対しての想いは主従とも親子ともつかぬような、そういう類の絶対的なものであって、恋愛という不安定で激しいものとは多少異なるというか。郭嘉は不器用なので、退路を完全に絶たなければ来来のところに行けないわけで…ぐむむ。うーんうーん、難しいな。こうやって説明しなきゃなんない辺り失敗してんだろうなぁ。精進。