喉から漏れる呼気は隙間風のようで、情けなさに笑おうとしたら、臓物の痛みと共に随分と見慣れたものが服を汚した。それをぼんやりと見つめてからもう一度、嗤う。
「俺はおまえに逢えるだろうか」
呟いたつもりの声はうまく聞き取れなかった。耳をつんざく戦場の地響きと怒号が、すうっと遠のいてゆく。
もしこの俺に愛なんて芸当ができたとしたら、それは間違いなくおまえだけだった。
俺はおまえを止められなかったし、おまえも俺を手放した。俺たちは互いの何も変えられないままだったけど、それでもどうしようもなく、おまえが好きだったよ。多分さいごまで、おまえには伝わらなかったけど。
もう、今この空の下の何処にもおまえは居ない。その事実を正しく認識する為に、俺は目覚める度、冷えた牀榻に腕を滑らせなければならなかった。それでも、次の瞬間におまえがその扉を蹴破ってくれる気がしていた。そんな風に生きてきた、ずっと。
おまえが居なくなって、只のひとごろしに成り下がった俺を、ただ命を絶つだけの存在を、おまえは赦してくれるだろうか。本当は誰も死ななければいいと思っていただろう、言うと怒って否定されるから、ずっと黙っていたけれど。
「やさしい奴だな」と言って、笑われた事を思い出す。ああ、おまえは、優しいんだ。誰も信じなかったしおまえ自身すら気付かないままだったが、それを知っているのは俺だけでいい。
おまえ、あの時本当は、泣いていただろう。
分かってやれれば良かった。例え分からなくても、この手を離さなければ良かった。そうしたら、未来は変わっていただろうか。おまえを幸福にできただろうか。
「ばーか、おこがましいんだよ」
あの頃のままの、おまえ。唐突に赤と青と黒が飛び込んできて、目を瞠る。
幻覚が見えるなど、俺も相当きているのかもしれない。それでもいい、力の入らない腕を無理矢理に伸ばした。届きそうで届かないまま、指先が虚空を切る。だが、それはうんざりする程にどす黒く汚れていたから、おまえに触れられなくて良かったのかもしれない。
少し離れて立つおまえが、珍しくも笑った。ああそうだ、笑うと年より幼く見えるのを、俺はずっと知っていた。
「俺は欠片も自分が不幸だなどと思ってないぞ」
本当に?いつも何かに耐えて押し殺して辛そうで、なのに俺は何も出来なかった。それを後悔しなかった事は一度だってない。俺はおまえに対して絶望的なまでに無力で、それがずっとずっと悔しかった。こみ上げる吐き気を堪えながら唇を動かすが、震える喉をうまく使えているか自信がなかった。臓から競り上がる血が時折口端から垂れ流れる。それでもおまえには届いているらしい、今度は声をあげて笑い出した。
「本当に馬鹿だな。俺がおまえにどれだけ救われたか、知らなかったのか」
そうなのか?
「二度は言わない」
知らなかった。
「隠していたからな」
……自惚れていいか?
「阿呆」
いつものように眉宇を寄せ、元来穏やかでない目つきを更に鋭くするが、朱を差した頬が本音でない事を伝えている。己の作りだした都合の良い幻影なのか、それとも別の何かなのか、もうどうでも良かった。おまえに逢えた。それだけでもう十分だ。
痛みも熱も、不思議なほど穏やかになってゆく。白と黒だけの世界が、久方ぶりに鮮やかな色彩を放ち出した。ああ、せかいはこんなにも美しかった。おまえがここに居た頃、俺はいつだってその只中で立っていた。
次こそは、俺から逢いに行こう。俺はおまえの為なら何処へだって行ける。とても幸福な気持ちになって、目を閉じた。
作成日: 2009/02/19
やっちまった。これは所謂しにねたに該当するのでしょうか。「飛沫」の続きだと思われます。
RGRは、馴初めから蚩尤の最期まで話が出来上がっているのですが、よりによって何故、最後の最後だけ書く…
去年に最初と最後だけ書いて放置していたものを、ムリヤリ間を埋めてうp。そのせいで、予定とは随分違うモノに。