「もう、長くはないと訊きました」
声は震えなかっただろうか。平生の無表情は通せただろうか。何も生み出せなかった私は、ただ迷惑を掛けないよう、彼を煩わせないようにする他なかった。きっと口煩いだけの同僚として、このまま記憶の片隅に小さく消えていくのだろう。だが、それで良かった。
困惑させる事で限られた灯火を無駄に使わせてしまいたくない。貴方を愛しているなど、私さえ口にしなければ誰も知る事はない。
「目障りな奴が死んで清々するだろ」
彼はぼんやりと光る月の方に顔を向けたまま、嘲るように小さく笑った。私はそのように思われていたのかと、握り締める手が小さく震えた。なぜ私は、あんなにも執拗に彼の不品行を度々に非難していたのか。晒し者にするかのように大勢の前で直訴すべきではなく、理由も尋ねず頭ごなしに否定すべきでもなかった。分かっていた、本当はずっと。しかし、彼を知る事も、彼に近づく事も、私にはとても恐ろしかったのだ。どれだけ彼と彼の名誉を傷つけてきたのか考えもせず、私はただ自分の為だけに、この薄暗い心を押し殺し続けてきた。
「そうですね、と言って欲しいのですか」
あまり多くは語れない。きっと私はぼろを出してしまうだろう。今にも懸命に蓋をした本音が飛び出してきそうだ。私はきつく目を瞑った。冷静なところ以外、彼には決して見せていないのだから。そして、全てを諦めたような目で遠くを見ている貴方など、とても見ていられなかった。
しかしその瞳に光を取り戻すのは、私の役目ではないのだ。
「今となっては、どちらでも良い」
彼は、わらう。思えば、私の前で微笑った事など一度もなかった。私が望んでそうなるよう仕向けた事だったのに、今その事実が、何よりも哀しかった。
「…………長文」
震えが止まらない。あなたが手の届かない場所へ、行ってしまうなど。
連れて行かないで。どうか。
「どうして、泣く」
俸禄全てを酒に変えてしまうような男だった。いつだって飄々として、何にも縛られず、誰からも愛された。私は彼を嫌った。羨望を嫌悪に摩り替えて、揚げ足を取るような事ばかり繰り返していた。無駄だと知っていて、彼から憎まれる事を知っていて。それでも。
「あなたが、すきだから」
道ならぬ、恋だった。
作成日: 2008/05/02